懸仏は、もと下田野字戦場にあった天神様に祭られていました。「天神様のいちばん奥まったところに祭られ、直径六寸(約15cm)ばかり」と享和2年(1802)の文献に記されています。今はその天神様はありません。この懸仏には、「天神の御正体」と刻み、蓮の花の上に十一面観音の文字が刻まれ、年号は、嘉吉2年(1442)12月吉日とあります。