昭和37年、中学校建設時に発掘調査がおこなわれました。当時、敷石住居跡が非常に多く発見され、縄文時代研究者をはじめ、考古学会からも注目を集めました。縄文時代中期(約4500年前)から後期(約3500年前)にかけて縄文のムラとして栄えた場所で、隣の駒形遺跡や新井遺跡をあわせた範囲がムラの全体像と考えられます。