武蔵川大治郎は文政6年(1823)三沢の関口家に生まれました。小さい時から体格に優れていて、田舎相撲の横綱になりました。その後、妻や子を残して江戸相撲を志しました。安政6年(1859)に十両、文久3年(1863)には武蔵川を襲名して、次の年に待望の前頭になりました。この碑は当地の蛇紋岩を用い、郷土の弟子たちによって建てられました。