持田家は、代々金沢村金沢組の名主を世襲し、金沢村の代表としても代官所との諸連絡に当たっていました。明治以降も、金沢村戸長や金崎連合戸長も勤めています。文書は江戸中期から明治初期にかけておよそ200年に渡る村政、治安、戸口を中心としたものが残っています。