この2本の柱は橋の欄干の端につけられたもので、親柱といいます。初代の郷平橋は、明治19年3月に完成の「木鉄混合トラス橋」で秩父新道開削にともない架設されました。わが国の最も古い時代のトラス橋に属するものです。架橋時右岸は […]
明治8年調査の「武蔵国郡村誌」の中に「枝野沢橋 前橋の上に架す 長十間巾一丈石橋」とあり、明治8年から改修されることなく使われています。 橋から水面まで約4m、全体が自然石を積み重ねて出来ています。川の床面には敷石(亀腹 […]
薬研とは、主に漢方の薬種を細かい粉状にする器具です。V字形で、中が深く窪んでおり、これに薬種を入れ、軸のついた円板状の車輪のようなものをきしらせて押し砕きます。 この堀は、薬研のように石がV字形に積まれているので、長さは […]
明治21年市町村制を公布、22年4月1日施行。自治体がかたまると、次にすすめられたのが村と村をつなぐ道の距離を測るために村内主要道の中心地点を定め、そこに石の標識を設置させました。これを「道路元標」といい全国の村々にたて […]
明治21年市町村制を公布、22年4月1日施行。自治体がかたまると、次にすすめられたのが村と村をつなぐ道の距離を測るために村内主要道の中心地点を定め、そこに石の標識を設置させました。これを「道路元標」といい全国の村々にたて […]
明治21年市町村制を公布、22年4月1日施行。自治体がかたまると、次にすすめられたのが村と村をつなぐ道の距離を測るために村内主要道の中心地点を定め、そこに石の標識を設置させました。これを「道路元標」といい全国の村々にたて […]
光明真言塔の立つ自性院は、明治15年の大渕の大火で類焼しました。 光明真言塔には、円の中心に五文字の光明真言曼茶羅、そのまわりに光明真言の梵字が整然と刻まれています。石塔は、下田野西福寺の光明真言塔と比べ小ぶりながらも滑 […]
新編武蔵風土記稿に掲載の大字皆野字親鼻、三光山自性院跡地に残る単制六角幢です。 幢は宝珠が欠失していますが、笠は文字通り単制、幢身は六角で最大幅は39cm、各面には地蔵菩薩が浮き彫りされています。幢身上部に「元禄十五年壬 […]
全頁(全てのページをご覧いただけます) 表紙 第48回合歓の盆秩父音頭まつり 健康長寿優秀賞を受賞 第24回参議院通常選挙投・開票結果 はじめての18歳選挙 児童扶養手当 特別児童扶養手当 現況届をお忘れなく 国保からの […]
こちちぶわんたいせきそうおよびかいせいほにゅうるいかせきぐん 古秩父湾堆積層及び海棲哺乳類化石群 平成28年3月1日、「前原の不整合(大渕)」など秩父地域に所在する6つの露頭(地層の露出した崖)と県立自然の博物館所蔵の9 […]