昭和37年、中学校建設時に発掘調査がおこなわれました。当時、敷石住居跡が非常に多く発見され、縄文時代研究者をはじめ、考古学会からも注目を集めました。縄文時代中期(約4500年前)から後期(約3500年前)にかけて縄文のム […]
10世紀頃に作られた灰釉陶器と呼ばれる焼き物です。古墳時代の中頃(5世紀頃)に朝鮮半島から技術が伝えられた須恵器と呼ばれる焼き物が発達したもので、登窯を用いて生産されます。窯内の温度は1200度以上という当時としては、限 […]
昭和45年に発掘されました。縄文時代後期(約3500年前)の堀ノ内式土器の胴下半部に描かれたもので、磨かれた器面に、焼成前の線刻が施されています。縄文時代は抽象的な画が多く、水鳥、弓矢を引き絞る狩人など、写実性のある画は […]
平成3年に発掘調査が実施された古墳時代後期(7世紀前半)の小規模古墳の1つで、出土品に比較的多くの鉄製品が認められました。馬具(環状鏡板付轡・絞具)、胡緑金具、鉄鏃、刀子などが出土しています。なかでも胡緑は、県内でもほと […]
この土偶は昭和58年に行われた駒形遺跡第3次調査(皆野総合センター拡張工事)の際に発見されたました。普通の土偶は、頭、手、足、胴体などの体の1部分が発見され、同じ遺跡から発掘された部品が接合することはほとんどありませんが […]
持田家は、代々金沢村金沢組の名主を世襲し、金沢村の代表としても代官所との諸連絡に当たっていました。明治以降も、金沢村戸長や金崎連合戸長も勤めています。文書は江戸中期から明治初期にかけておよそ200年に渡る村政、治安、戸口 […]
三沢村の名主は、上、中、下3つの郷より出て輪番で勤めましたが、関根家は世襲名主として勤め、初代十兵衛以降苗字御免でした。文書の中では、年貢割付状が多く、天保3年(1646)から明治3年(1870)まで146通が残っていま […]
金室家は、江戸時代初期より代々大淵村の名主を勤めました。「北条氏政書簡」、慶長3年(1598)の「武州秩父郡大淵ノ村地詰御坪入帳」の他、多くの近世文書を伝えています。特に材木川下げに関する文書は、隣村野巻村(現皆野町大字 […]
宮前家は、金崎村の名主を代々勤め、『新編武蔵風土記稿』ににも記録が残る家系です。宮前家は酒造業を家業としたので、酒造関係文書が目立ちますが、佐右衛門が算数を得意とし、自ら作成した享和元年の金崎村絵図と共に測量用具も併せて […]
懸仏は、もと下田野字戦場にあった天神様に祭られていました。「天神様のいちばん奥まったところに祭られ、直径六寸(約15cm)ばかり」と享和2年(1802)の文献に記されています。今はその天神様はありません。この懸仏には、「 […]