コンテンツ本文へスキップ
スマートフォンサイトはこちら

お知らせ

コンテンツタイトル下地

火ぶせのえのき 「みなのむかしむかし」 より

2018年4月9日

                  

火ぶせのえのき    著 山口槌男  さし絵 大久保和生

皆野村に小学校をつくることになりました。
親鼻の人たちは、親鼻にたててもらう運動をしました。原の方の人たちは原にたててもらう運動をしました。どちらも、たがいにゆずりませんでした。親鼻の人たちは、皆野村の中心はこちらだといいます。原の人は、これからは、村はこちらにのびてくるのだからと、いいはります。                                 村長さんは、すっかりこまっていました。そして、村の地図をひろげて、毎日毎日あたまをひねっておりました。そして、ついに、どちらにも味方をしない方法を思いつきました。村長さんは村人たちに命じて村の中央がどこになるのかをしらべさせました。                                                                                               建築作業は、円明寺のうらの馬場ではじめられました。大ぜいの村の人たちが、木を切ったり、くわの木をひきぬいたりして、土地を平らにしました。
地面を平らにしているとき、ひとりの土工さんが、奇妙なものをほりあてました。12センチばかりの、柱のようなものが、土の中にうずまって立っておりました。それが、なんと3本も出てきたのです。だれにも、それが何だかわかりませんでした。すると、ひとりの年とった土工さんが、聞いた話だといって話し出しました。             皆野村は、むかしから、どうしたわけか二つに分かれて、いざこざがたえませんでした。おまつりにしろ、道ぶしんにしろ、より合いにしろ、何かというと、上(かみ)と下(しも)でけんかばかりしていました。そして、村の中では、もうだれもこれをしずめることはできなくなってしまいました。そこで村のおもだった人たちは、となりの村の人たちに仲なおりさせてもらうようにたのみました。                        金崎村、大ふち村、小柱の代表の人たちが集まって相談しました。そして、上(かみ)、下(しも)の仲なおり会をすることにしました。
仲なおり会の会場は、親鼻でも原でもない、皆野村のちょうどまんなかをえらびました。大きなぶたいを作り、そこで余きょうなどをやって、3日間も仲なおりのおいわいをしたのです。
その会場が、なんと、この建築現場で、土の中にうずまっていた柱は、その時のぶたいの柱だったわけです。村長さんが考えた、親鼻にも原にもみかたしない場所には、そんな歴史のあとがあったのです。
明治23年10月。やがて、大きなえのきをせおった学校ができあがりました。フランス風の玄関をもったすばらしい学校でした。
しかし、この時、とうりょうが、村長さんにあのえのきは校舎に日かげをつくり、校舎がいたむから切ったほうがいいとすすめました。村長さんは、さっそく、村のおもだった人に相談しました。そして、やはり切ることにきまりました。すると、この相談に、待ったがかかりました。根岸部落の代表が切ってもらってはこまる、と言ってきたのです。
話は、また昔にもどります。
明治15年正月14日は、風の強い日でした。そして、運のわるいことに、大ふち村で火事がおこりました。
火の粉が荒川をこえて、どんどん皆皆野にもとんできました。そして、とうとう小塚の農家にもえうつってしまいました。あの広い荒川をとびこえたくらいですからたまりません。皆野村にも、たちまち火の手がひろがり、円明寺へとせまってきました。円明寺をこえると、原、根岸、腰の部落も、もちろん火の海となります。おとなも子どもも、かみをふりみだし、はだしで、着物のしりをはしょり、ただむちゅうでとびまわるだけでした。 ところがどうでしょう。
火の手は、くるりと向きをかえると、上の台、親鼻、田野の方面にのびはじめました。そして、これらの部落は、たちまちのうちに火の海となってしまったのです。円明寺の森と、あのえの木が大きなカベをつくり、火の進む道をかえてしまったのでした。根岸の代表は、「どうか、火ぶせのえのきを切らないでください」とおねがいしました。 村長さんは、もちろんそれをききいれました。えのきは切らないことになりました。  えのきは、大きな枝をひろげ、学校中を見おろし、夏はすずしい木かげをつくりました。枝につく、むしのいいやどりぎも、へいきでそだててやりました。秋になると黄色の実にたくさんの尾ながや、むくどりがやってきて、大合唱をしました。
今はもう八十近くなるおじいさんが言いました。「わしが子どものとき見たえのきと、形も大きさもすっかり同じだ。七十年もたったが、えのきは、ひとつも年をとらない 」と・・・・・・。(話者 門平武夫 氏)

※ 作品のオリジナル性を生かして掲載してあります。現在の地名等とは異なるものもあります。

 

カテゴリ:お知らせ
コンテンツ本文の先頭へ戻る ページの先頭へ戻る
コンテンツ本文の先頭へ戻る ページの先頭へ戻る