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担当者だより

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~秩父新聞から見る秩父音頭と俳句~ 第2回「皆野俳壇覚え書き」

2020年2月10日

ここでは資料収集、整理にあたり、資料の所有者から伺ったさまざまなお話を掲載していきたいと思います。

取材/令和元年10月30日

皆野町 吉見屋さんに聞く当時の様子

水原秋櫻子の皆野来訪

金子伊昔紅と中学から親交のあった水原秋櫻子は皆野へ何度か訪れています。当時の交通手段は車ではなく電車ですから寄居経由で皆野へ来るわけですが、一行は皆野ではなく長瀞で降りました。偶然そこで黒田宗三郎さんと出会い、合流し皆野へ向かったととのことでした。長瀞は馬場移公子さんの出身ですから、何か関係があるのかしら、なんて笑い話も飛び出しました。

取材補足:水原秋櫻子は皆野へ3回訪れています。うち3回目は昭和26年9月23日の皇鈴山山頂での秩父音頭披露ですから、1回目か2回目のエピソードと思われます。

皇鈴山(みすずやま) ≪昭和26年9月23日 個人蔵≫

皇鈴山(みすずやま) ≪昭和26年9月23日 個人蔵≫

馬場移公子の「馬酔木賞」(後の「馬酔木新人賞」)受賞

馬場移公子さんは(馬酔木)新人賞受賞の際、円卓を前にして表彰されたのですが、決して花束を受け取らなかったと聞いています。どこまでも謙虚な方でした。

取材補足:馬場移公子氏は金子伊昔紅氏宅を訪れた昭和21年5月以降、「馬酔木」に投句をはじめ、同年10月号で初入選、昭和24年3月号には巻頭を飾り、昭和25年度馬酔木賞を受賞しました。

石田波郷の三峯吟行と掛軸

石田波郷氏は昭和32年秋に金子伊昔紅氏、潮夜荒らとともに三峯山で句会を開きました。その際に波郷が伊昔紅ではなく潮夜荒へ手渡したのが「七夕の・・・」の掛軸。その時は何も言わなかった伊昔紅でしたが、潮夜荒は後々まで、伊昔紅と酒を飲むたびに「おれにはどうしても欲しいものがある・・・あの掛軸だよ」と言われ続けたと聞いています。

取材補足:昭和32年7月13日から14日にかけて催された、「鶴」同人との三峯山吟行時のエピソードです。同吟行には伊昔紅、潮夜荒両氏の他、石塚友二、浅賀爽吉、渡邊浮美竹、馬場移公子各氏も参加しました。

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