2020年7月2日
これから数回にわたり、大浜在住の佐藤敏子さん(96歳)から伺ったお話を掲載します。
大変貴重なお話と資料のHP掲載を快諾いただいたことに心から感謝申し上げます。最初は秩父音頭に関連するお話です。
戦争の時期(担当:昭和15年もしくは16年と思われます)の暑い頃、2日間の行程で東京へ行った。日比谷公会堂小劇場での秩父音頭披露と陸軍病院への慰問が目的だった。
踊り手は総勢20名。電車で向かったが、伊昔紅先生や太鼓、大小道具類は同行しなかった。上野駅ホームでは金子兜太さんとカラスの子で有名な方(担当:作詞の野口雨情氏、もしくは作曲の本居有世氏と思われます)が迎えに来てくれていた。兜太さんは旧帝大の制帽、白絣のシャツに黒袴といういでたち。兜太さんは宿泊先だった日本橋蠣殻町にある機屋(秩父銘仙)の支店まで案内してくれ、そのまま一緒に宿泊した。
日比谷公会堂小劇場で秩父音頭を上演した。観客がいたかどうかは覚えていない。その後陸軍病院で兵士を慰問した。多くの椅子が並べられた部屋で踊った。特別に舞台がしつらえられたわけではない。兵士の一人から「田舎くさい踊りだな」といわれたことが印象に残っている。
写真はその頃金子医院前で踊られた秩父音頭の様子。