金室家は、江戸時代初期より代々大淵村の名主を勤めました。「北条氏政書簡」、慶長3年(1598)の「武州秩父郡大淵ノ村地詰御坪入帳」の他、多くの近世文書を伝えています。特に材木川下げに関する文書は、隣村野巻村(現皆野町大字 […]
この塔は、室町時代中ごろのお墓で総高97cm、火輪の幅32cm、安山岩を用いています。地輪に「延徳四年(1492)壬子二月十七日元佑法印」の銘文が刻まれています。室町時代のがっちりとした重量感のある形態です。西福寺の寺伝 […]
三沢村の名主は、上、中、下3つの郷より出て輪番で勤めましたが、関根家は世襲名主として勤め、初代十兵衛以降苗字御免でした。文書の中では、年貢割付状が多く、天保3年(1646)から明治3年(1870)まで146通が残っていま […]
この宝篋印塔は基礎が三基積み重ねてあり、別々の宝篋印塔が三基あったことになります。「基礎(1)」には貞治4年(1365)の年号、「基礎(3)」には康暦3年(1381)の年号が刻んであります。貞治4年の宝篋印塔は、曲木に修 […]
持田家は、代々金沢村金沢組の名主を世襲し、金沢村の代表としても代官所との諸連絡に当たっていました。明治以降も、金沢村戸長や金崎連合戸長も勤めています。文書は江戸中期から明治初期にかけておよそ200年に渡る村政、治安、戸口 […]
碑の中央に「南無阿弥陀仏」と刻んであり、塔の左右に「みキハ大ミや」、「ひだり志まんぶ」と書いてあります。右へ行くのが大宮(秩父市)道で、左へ行くのが、四万部(札所一番)道です。この阿弥陀塔は「道しるべ」でもありました。塔 […]
この土偶は昭和58年に行われた駒形遺跡第3次調査(皆野総合センター拡張工事)の際に発見されたました。普通の土偶は、頭、手、足、胴体などの体の1部分が発見され、同じ遺跡から発掘された部品が接合することはほとんどありませんが […]
五輪塔は、平安中期頃から供養塔、墓石として用いられました。この塔は、室町時代中頃の墓で、地輪に「明応三年(1494)五月一五日□□禅尼」と刻まれています。近くには宝永7年(1710)に建てられた薬師如来が祀られ、健康を守 […]
平成3年に発掘調査が実施された古墳時代後期(7世紀前半)の小規模古墳の1つで、出土品に比較的多くの鉄製品が認められました。馬具(環状鏡板付轡・絞具)、胡緑金具、鉄鏃、刀子などが出土しています。なかでも胡緑は、県内でもほと […]
光明真言塔の立つ自性院は、明治15年の大渕の大火で類焼しました。 光明真言塔には、円の中心に五文字の光明真言曼茶羅、そのまわりに光明真言の梵字が整然と刻まれています。石塔は、下田野西福寺の光明真言塔と比べ小ぶりながらも滑 […]