高さ142cm、幅126cmの堂々としたもので、塔のまんなかに五つの梵字、そのまわりに光明真言の梵字が刻まれています。光明真言塔としては、当町でもっとも大きいものと考えられ、梵字も整然と書かれ、しかも力強く刻まれています […]
元治元年(1864)に水戸(茨城県)で「天狗党の乱」があり、外国を追い払おうとする一派と、徳川幕府との争いです。忍藩は幕府方でしたので、藩主の松平下総守の求めに応じて、三沢の猟師たちが、この戦いに従軍しました。そして、無 […]
この板碑の石は普通の河原石で、しかも、梵字は大日如来です。俗に変形板碑といわれ、この変形板碑が三沢に三基あり、全部が寺や堂などを作った時に建てられています。その中で年号がはっきりしているのがこの板碑で、碑の中央に大きく蓮 […]
昔ここに薬師堂があって、税金を免れていたので「薬師免」と呼んでいます。昭和10年ころ道路工事の時、この墓地を発掘しました。出土した板碑は8基、その内年号の解るのは「建武4年(1337)」と「康暦2年(1380)」2基で、 […]
高さ54cm、幅30cm、厚さ2cmの板碑です。完全な形ではありませんが、一番上に観音菩薩と勢至菩薩の梵字と蓮の花が読み取れます。その右下に偈文がありますが、「願以比功□……」としか解りません。年 […]
天文5年(1536)の紀年銘があります。安山岩を加工して作られ、竿の部分が後世に作り直されていますが、町内にある石幢としては、唯一完全な形で見られる重制石幢です。地元に残される言い伝えでは、薬師様を祭ったお堂があり、石幢 […]
金崎古墳群は、長瀞町境近くの荒川左岸の河岸段丘上に立地しています。この金崎古墳群から出土したと伝えられる直刀が、長い間国神小学校で大切に保管されていましたが、昭和50年に教育委員会へ移され、その後の保存処理で銀象嵌が施さ […]
昭和37年、中学校建設時に発掘調査がおこなわれました。当時、敷石住居跡が非常に多く発見され、縄文時代研究者をはじめ、考古学会からも注目を集めました。縄文時代中期(約4500年前)から後期(約3500年前)にかけて縄文のム […]
10世紀頃に作られた灰釉陶器と呼ばれる焼き物です。古墳時代の中頃(5世紀頃)に朝鮮半島から技術が伝えられた須恵器と呼ばれる焼き物が発達したもので、登窯を用いて生産されます。窯内の温度は1200度以上という当時としては、限 […]
昭和45年に発掘されました。縄文時代後期(約3500年前)の堀ノ内式土器の胴下半部に描かれたもので、磨かれた器面に、焼成前の線刻が施されています。縄文時代は抽象的な画が多く、水鳥、弓矢を引き絞る狩人など、写実性のある画は […]