平成3年に発掘調査が実施された古墳時代後期(7世紀前半)の小規模古墳の1つで、出土品に比較的多くの鉄製品が認められました。馬具(環状鏡板付轡・絞具)、胡緑金具、鉄鏃、刀子などが出土しています。なかでも胡緑は、県内でもほと […]
この土偶は昭和58年に行われた駒形遺跡第3次調査(皆野総合センター拡張工事)の際に発見されたました。普通の土偶は、頭、手、足、胴体などの体の1部分が発見され、同じ遺跡から発掘された部品が接合することはほとんどありませんが […]
持田家は、代々金沢村金沢組の名主を世襲し、金沢村の代表としても代官所との諸連絡に当たっていました。明治以降も、金沢村戸長や金崎連合戸長も勤めています。文書は江戸中期から明治初期にかけておよそ200年に渡る村政、治安、戸口 […]
三沢村の名主は、上、中、下3つの郷より出て輪番で勤めましたが、関根家は世襲名主として勤め、初代十兵衛以降苗字御免でした。文書の中では、年貢割付状が多く、天保3年(1646)から明治3年(1870)まで146通が残っていま […]
金室家は、江戸時代初期より代々大淵村の名主を勤めました。「北条氏政書簡」、慶長3年(1598)の「武州秩父郡大淵ノ村地詰御坪入帳」の他、多くの近世文書を伝えています。特に材木川下げに関する文書は、隣村野巻村(現皆野町大字 […]
宮前家は、金崎村の名主を代々勤め、『新編武蔵風土記稿』ににも記録が残る家系です。宮前家は酒造業を家業としたので、酒造関係文書が目立ちますが、佐右衛門が算数を得意とし、自ら作成した享和元年の金崎村絵図と共に測量用具も併せて […]
懸仏は、もと下田野字戦場にあった天神様に祭られていました。「天神様のいちばん奥まったところに祭られ、直径六寸(約15cm)ばかり」と享和2年(1802)の文献に記されています。今はその天神様はありません。この懸仏には、「 […]
円福寺の本尊は阿弥陀如来で、左脇侍に観音菩薩、右脇侍に勢至菩薩を配してあります。観音菩薩は十一面観音で、像の高さ66cm、台座18.5cmです。如来の台座には、天明元年(1782)の紀年銘があり、勢至菩薩も同時代の作と見 […]
薬王寺薬師堂の本尊薬師如来、脇侍の日光・月光菩薩をいいます。薬師如来は坐像で、像高44㎝、台座27㎝、脇侍の日光・月光菩薩は立像で、像高51㎝、台座15㎝です。本尊胎内左側面に墨書銘が見られ「奉於…̷ […]
『北武蔵名跡志』に「出牛村萩宮石鳥居は、永禄十年(1567)に建てられた。しかし彫りが古くてはっきりしない。」とあります。また『秩父の石仏』では「柱も割合に太く、県下に数多く見られるやさ形の石鳥居に比べてみると、ずっしり […]