この土偶は昭和58年に行われた駒形遺跡第3次調査(皆野総合センター拡張工事)の際に発見されたました。普通の土偶は、頭、手、足、胴体などの体の1部分が発見され、同じ遺跡から発掘された部品が接合することはほとんどありませんが […]
真言宗智山派円福寺の土蔵に保管され、戦後、椋神社に移管される時に発見されたのがこの獅子頭です。椋神社は円福寺の鎮守だったと言われ、奉納した獅子舞の道具の内、上郷の一式は円福寺の土蔵に保管されていたようです。獅子頭は3頭あ […]
8月16日に行われます。七夕飾りを集会所に持ち寄り、長い竿竹に取り付け、先端には幣束を差し込んで3本の梵天を作ります。長老が五色旗と幟旗を用意し、昼食後、集会所に各戸1人ずつが集まり、御神酒をいただいてから、梵天を先頭に […]
明治21年市町村制を公布、22年4月1日施行。自治体がかたまると、次にすすめられたのが村と村をつなぐ道の距離を測るために村内主要道の中心地点を定め、そこに石の標識を設置させました。これを「道路元標」といい全国の村々にたて […]
平成3年に発掘調査が実施された古墳時代後期(7世紀前半)の小規模古墳の1つで、出土品に比較的多くの鉄製品が認められました。馬具(環状鏡板付轡・絞具)、胡緑金具、鉄鏃、刀子などが出土しています。なかでも胡緑は、県内でもほと […]
「玉とり姫」の物語を絵柄とする縦170cm、横210cmの大絵馬で、勝川春清という絵師の作です。絵師の人物、絵馬の施主、時代などいずれも不明です。正法寺は、往古秩父札所巡礼者が、中山道本庄、上州方面から入る時に最初に立ち […]
8月16日に行われます。シンコの笹竹に七夕に作ったノロセと炒りさごを吊し、送り竹を作ります。炒りさごは麦、大豆、粟などを炒り、一つまみの紙捻にしたもので、家族中の体を撫で、体に付いた虫を封じ込めます。各戸から子どもたちが […]
明治21年市町村制を公布、22年4月1日施行。自治体がかたまると、次にすすめられたのが村と村をつなぐ道の距離を測るために村内主要道の中心地点を定め、そこに石の標識を設置させました。これを「道路元標」といい全国の村々にたて […]
昭和45年に発掘されました。縄文時代後期(約3500年前)の堀ノ内式土器の胴下半部に描かれたもので、磨かれた器面に、焼成前の線刻が施されています。縄文時代は抽象的な画が多く、水鳥、弓矢を引き絞る狩人など、写実性のある画は […]
天沢峠を出牛方面に下がった三差路にある元住吉社遙拝所に掛けられた絵馬で、社の創立縁起を描いた、縦90cm、横190cmの大絵馬です。絵柄は、奥宮の御神体とした「住吉大神」の石碑を担ぎ上げた行列の模様で、土地の若衆中の求め […]